1998年4月ー6月

SMでメシを喰うんだ

「これで決まったかな」。そう感じたのは今年の3月。これまで12年間勤めた会社のミーティングルームで、上司であった取締役営業部長から来期方針の説明を受けた時でした。入社以来ずっと企画セクションを歩いてきた私にとって、その来期の構想は退社の決意を固めるには十分なものでした。

ここ数年、私の中には「SMを仕事としたい」という考えがありました。趣味と実益などという言葉に甘えるつもりは毛頭ありませんでしたが、それまでは余暇として関わってきた10年以上に渡るネットワーク生活や、サークルの運営によって知り得たSMという世界の大きさ、奥深さに強く惹かれていたし、仕事として見ても大きな可能性を感じるものでした。そして何より、これまで知り合うことのできたSM界の人たち、その周辺にいる変態さんたちが大好きだったこともあります。

それを思い留まらせていたのは、会社員としてのこれまでの実績、長年世話になった会社や上司・同僚に対する恩義、そして安定収入。しかし、いつかはそのブレーキが利かなくなることを、無意識に期待していたような気もします。それはそのまま、どこかで自分を飾り、偽らなければならない社会生活と、SMという「正直な」世界を知ってしまったことによって生じた、私の中の「きしみ」だったのかも知れません。ともあれ、もし会社を辞めるなら、SMでメシを喰うんだ、という思いは既定路線でした。

退社が決まった時、それまで使わずに溜まっていた私の有給休暇残日数はなんと60日。つまり2ヶ月間、会社に行かなくとも給料が支給されるわけです。この2ヶ月間を私は、前半をSMクラブを始めるためマーケティング期間に、後半を実質的な準備期間にすることにしました。

事前に調査すべき項目はたくさんありました。他のクラブのプレイ内容や価格帯、客層、広告宣伝の方法、女の子の集め方やバック率、そして立地による特性などなど。同業の友人に教えて貰ったり、客のフリをして他のクラブに電話を掛けまくったり。これらのデータをもとに、まず自分のクラブの基本形を作るところから始めたわけです。特に面白かったのは立地調査。池袋、五反田、六本木などSMクラブの多い場所を調べたのですが、それぞれに近隣にホテル街がある、沿線からの誘因が利く、地名に高級感があるなど特性があることが分かりました。結局は私の自宅に近いこともあって鶯谷に落ち着いたのですが、この鶯谷も、山手線の駅としてはマイナーな感がありますが、SMクラブの立地としてはいくつかの特性を兼ね備えた「事務所系風俗の一等地」であることも理解できたのです。

後半に入ってからは、鶯谷近辺を毎日のように訪れて不動産屋まわりです。そろそろ暑くなりかけてきた頃で、汗だくになりながらも近隣の不動産屋を虱潰しに当たりました。SMという行為は淫靡なものであっても、事務所までが淫靡である必要はない、お客様や女の子たちの安心感を考えれば、むしろ表通りに面した明るい事務所であるべきだ、との考えもあり、そのイメージに合致する物件を探したわけですが、予算とのかねあいもあり、なかなか苦労したのも事実です。その事務所もようやく決まり、基本料金やオプション内容の確定、お客様向けと女の子募集用の広告出稿、事務所への備品搬入に内装作業…とても有給休暇中は思えない目の回るような忙しさの中で、オープン予定日の「7/1」が迫ってきました。

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